六度目の皇后擁立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 22:42 UTC 版)
司馬顒は偽詔を発し、羊献容が政治利用されているという理由で彼女に自殺を命じ、尚書田淑がこの命令を洛陽朝廷に伝えた。だが、洛陽朝廷を運営していた司隷校尉劉暾らは反対して「羊庶人(羊献容)は離宮に軟禁されており、厳重に警備されております。姦人(邪悪な者)と乱を企むことなどありません。賢者・愚者問わずみな羊氏の冤罪を訴えており、もし枯窮の人を殺してしまえば、天下を落胆させることになり、これは国家にとって益とはいえません」と上書した。司馬顒はこれに激怒して洛陽を守る配下の呂朗に劉暾逮捕を命じたが、それを知った劉暾は先んじて青州に逃走した。この混乱により羊献容は死を免れた。 306年5月、司馬越配下の将軍祁弘・宋冑・馬纂らは長安を攻略し、司馬顒を撃ち破って恵帝を奪還した。6月、恵帝が洛陽に帰還すると、羊献容は皇后に復位した。
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