大橋宗英
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大橋宗英(おおはし そうえい、宝暦6年(1756年) - 文化6年11月17日(1809年12月23日))は江戸時代の将棋指し。九世名人。将棋三家の一つ大橋分家六代目当主。大橋分家出身者としては2人目の名人。分家五代目大橋宗順の子。分家七代目大橋宗与の父。その強さから「実力十三段」[注 1]、「鬼宗英」などと称された[1][2][3]。江戸時代の最強名人[4]とも評される。
注釈
出典
- ^ 大崎熊雄『今人古人の名局: 将棋定跡的の解説』宝文館、1931(昭和6)年、142頁。doi:10.11501/1174701。(オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)「なにしろ実力十三段ありと言はれ鬼の宗英の名をほしいまゝにした彼なのであつた。」
- ^ 飯塚勘一郎『将棋名匠の面影』信正社、1937(昭和12)年、12頁。doi:10.11501/1220364。(オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)「近代将棋の父として、実力十三段と云はれる鬼宗英」
- ^ 坂本一裕「名匠のこまあと (第4回)」『近代将棋』第21巻2号(通巻239号)、近代将棋社、1970年2月、96頁、doi:10.11501/6046950。(オンライン版当該ページ、国立国会図書館デジタルコレクション)「現存者はさておき、宗英が古今の第一人者たることは衆目の見る所ではあるまいか。世に鬼宗英と呼ばれ、実力十三段の称があったことから、その強さも推察されよう。」
- ^ 将棋400年史(マイナビ出版)
六代大橋宗英 (1756-1809)
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「棋士 (将棋)」の記事における「六代大橋宗英 (1756-1809)」の解説
九世名人。通称「鬼」。「宗英以前に宗英無く、宗英以後にも宗英無し」と呼ばれ、負けにくい棋風から「近代将棋の祖」とされている。江戸時代後半に活躍。
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