伊藤宗看 (3代)とは? わかりやすく解説

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伊藤宗看 (3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 07:28 UTC 版)

三代伊藤宗看(さんだいいとうそうかん、1706年宝永3年)-1761年6月2日宝暦11年4月29日))は江戸時代将棋指し七世名人。将棋三家の一つである伊藤家当主。別名に政長、印寿。


  1. ^ 『象戯作物』序文を書いた林信充は、図式献上前の公命での名人襲位は三代宗看のみであるとする。
  2. ^ 門脇芳雄は、名人襲位前後に図式の創作を開始したのではないか、と推測している。
  3. ^ 対局日時は角落ち番は5月17日、香落ち番は6月2日で、既に元文年号に改元している。
  4. ^ 宗看に香落ち番で勝利した翌日に、八代宗桂と平手で対戦している。
  5. ^ この当時、弟に家督を相続させるためには弟を養嗣子とすること(これを順養子と呼ぶ)が必要であり、一般的に行われていた。例えば徳川綱吉は兄である徳川家綱の養子である。
  6. ^ 寛保2年(1742年)に宗看の自宅で四代宗与と左香落ちで対戦した棋譜が存在するが、御城将棋の内調譜とはみなされていないという。
  7. ^ 山本亨介は、継母との関係が悪く酒色に溺れていたのではないかとしている。


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