佐野乾山真贋論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 19:33 UTC 版)
昭和37年(1962年)、栃木県佐野市の旧家で発見されたとされる焼き物200点(京都在住の収集家が所蔵)は、佐野で発見された尾形乾山の作品ということで「佐野乾山」と呼ばれ、真作か贋作かが議論を呼んだ。川端康成は酷評したが小林秀雄やバーナード・リーチは絶賛したという。この真贋論争は、日本最大の真贋事件と言われる。この問題については、青柳瑞穂は、乾山と私という読売新聞夕刊で「一口でいえば専門家の間でも乾山の勉強はされていなかった。業者のいいぐさに引きづりまわされていたといわれても仕方がない」と発言した。
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