仙石秀久
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仙石 秀久(せんごく ひでひさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。
注釈
- ^ 古田織部の長男。
- ^ 後に明治維新で新政府軍に助力して子爵を賜った仙石氏は、明治5年に朝廷への忠誠の証としてこの香炉を明治天皇に献上している[3]
- ^ 長男の仙石久忠は盲人であった事から家督を継げず、検校となっている。後にその末裔である仙石政房が仙石氏の本家家督を継承している。
- ^ 慶長7年(1602年)説もある。
- ^ 逃散は慶長15年(1610年)にピークとなる。[10]
- ^ 慶長15年(1610年)、同16年(1611年)に秀久が発行した黒印状に記載がある(2014年4月、出石町内の旧家で発見)。
- ^ 公式の記録としては京都所司代を務めていた前田玄以の名が捕縛の責任者として残されているが、実際に捉えた者は後世に伝わっていない。
出典
- ^ a b c d e 秀吉と秀久の間で交わされた書状(上田市立博物館)
- ^ 佐野半四郎。森忠政家臣の佐野政重(佐野半四郎)の子。豊臣秀勝家臣のち江戸幕府旗本。長男の系は絶えるが、三男四男の系統は旗本として存続した。四男系はのち断絶し、三男系が6百石で存続した。
- ^ a b c d e 仙石秀久の略伝(上田市立博物館)
- ^ 朝日日本歴史人物事典、デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ a b c d 『改選仙石家譜』
- ^ a b c d e f g h i j k 小諸城時代の治世(上田市立博物館)[リンク切れ]
- ^ a b c 小田原の役(上田市立博物館)
- ^ 『一色軍記』
- ^ 小諸城大手門解説(小諸市観光協会)[リンク切れ]
- ^ a b 塩川『シリーズ藩物語、小諸藩』、P118
- ^ 中央公論社『フロイス日本史』8巻171ページ、194ページ
- ^ a b 秀久の具足(上田市立博物館)
- ^ 「安珍・清姫」の鐘由来(妙満寺)
- ^ 仙石秀久と小諸城(小諸市観光協会)
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