他の芸能への関心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:04 UTC 版)
様式美を好むところがあり、前述の右太衛門のように、様式美の中で心躍らされるチャンバラ映画を深く愛している。松竹新喜劇と藤山寛美に敬意を払い、「変化座」構想を練り上げ、気の合う仲間たちと引退前の数年、新喜劇興行を行った。寛美自身の賛同も得、寛美本人の演出も予定されていたが(演目は「愚兄愚弟」)、寛美の急逝のため実現しなかった。 20歳頃に三代目桂米朝の弟子になろうとしたが、米朝宅で十代目桂小米(後の二代目枝雀)を見かけてかなわないと思い、諦めた。上岡は枝雀を「幻の兄弟子」として尊敬し続けており、自身司会の『EXテレビ』で笑いの理論「緊張の緩和」についてインタビューをしたこともある。引退後も米朝一門とは縁が深く、自身のコメントなどの管理窓口を米朝事務所に委託している。 1977年には三代目旭堂南陵に師事し、その年の干支にちなんで「南蛇」を貰う。その後、1年ごとに干支に因んだ名前「南馬」「南羊」「南猿」と改名し、12年後に真打昇進するという計画を立てていた。
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