仁祖時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 17:25 UTC 版)
1623年(仁祖1年)春仁祖反正により領議政となった。だが西人との連立政権は僅か一年程で崩壊した。1624年(仁祖2年)に大北派49人を処刑する事に反対したが、仁祖はそれを無視した。また光海君の処刑についても反対し、大北派に憎悪な感情を抱く仁穆王后に懇願し光海君は死刑をまぬがれた。また大同法を全国に施行する事を提案したが、西人派・南人派の激しい反対を受けて実現しなかった。1627年丁卯胡乱には都体察使を引き受け、王世子を護衛した。ついでに訓錬都監大将に任命されたが、高齢を理由に辞職した。
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