井上正春
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井上 正春(いのうえ まさはる)は、江戸時代後期の大名、老中。陸奥国棚倉藩主、上野国館林藩主、遠江国浜松藩主。官位は従四位下・河内守、侍従。浜松藩井上家9代。
- ^ 同僚の信濃国高遠藩主・内藤頼以に招かれて、高遠藩下屋敷(現在の新宿御苑)で小鳥狩を楽しんだ際、正甫は狩りに熱中し屋敷隣の千駄ヶ谷村に迷い込んだ。そこで偶然見つけた農家で留守番をしていた女房を正甫は押し倒したが、そこへ帰宅してきた夫に見つかった。夫は天秤棒を振り上げ、女房の上に乗っていた正甫を殴りつけたため、正甫は抜刀して夫の片腕を切り落とした。
- ^ 唐津藩の義務である長崎見廻役を嫌って幕閣中枢入りを熱望した水野忠邦が「実高が減少する」とする藩内の反対を押し切り、各方面に贈賄した結果、実現させたとされる。
- ^ 父の正甫は病気を理由に江戸に留まり、棚倉へは一度も行っていない。また、正春より長く安政5年(1858年)まで生きている。
- ^ 松平武厚の養子松平斉良は11代将軍・徳川家斉の実子であるため、松平康任の不手際に乗じて館林よりも豊かな浜田を斉良に与えようとした側面もある。ただし、斉良は藩主を継ぐことなく没している。
- ^ 最上義偆の養子
- ^ 井上正誠の養子
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