了翁道覚
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了翁道覚(りょうおう どうかく、寛永7年3月18日(1630年4月29日) - 宝永4年5月22日(1707年6月21日))は、江戸時代前期、教育文化、社会福祉、公共事業など各種の社会事業に貢献した黄檗宗の僧。出羽国雄勝郡八幡村生まれ。初め名を祖休といい、後に道覚とあらためた。号も初めは了然といい、後に了翁にあらためた。
注釈
- ^ 1987年(昭和62年)、了翁禅師研究会会長田口大師により「了翁禅師生誕地」の碑と了翁の事績を記した案内板が建てられた。
- ^ 龍泉寺には、1940年(昭和15年)に建てられた龍泉寺二十四世佐藤恵雲と東成瀬村の郷土史家菊地慶治の発起による了翁の記念碑がある。黄檗宗第四十九世玉田老師の揮毫によるもので、自然石に「了翁禅師剃髪之所」と刻されている。
- ^ その杉の根が今も八幡神社にのこっている。
- ^ 旧勧学寮は元禄16年の大火後に再建されたものだが、1913年(大正2年)に現在地に移転され、今日の大正大学の前身となった建物である。
- ^ 東京都指定旧跡。
- ^ 「八色八筋(やくさやすじ)の旗」は、輪王寺宮が了翁に下賜した8本の旗で、それぞれ異なる色で菊紋を染め抜いたもの。一字一石経塚とともに湯沢市史跡指定となっている。
- ^ 湯沢市の八幡地区と新田地区で確認されている。
- ^ 「とつとつ」と読む。「口ごもって何も言えない」という意味。なお、禅において円を描くことは悟ったことを意味している。
出典
- ^ a b 江戸名所図会 1927, pp. 216–217.
- ^ 江戸名所図会 1927a, p. 243.
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