主導権を巡る学派対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 05:06 UTC 版)
山本正誼は荻生徂徠門人で室鳩巣学の儒家であり、安永年間に造士館初代教授となる。近思録派も山本正誼の学派と同じ室鳩巣学の一派であったが、儒教の実践よりも詩文の芸に重点を置いた朱子学と古文辞学の折衷の様な山本の学派と対立していた。一方、重豪は山本正誼を重用しており、山本の教授職への人事を巡り、重豪は近思録崩れ以前に「古学崩れ」という弾圧事件を起こしている。山本正誼が一時、造士館教授職を辞任すると、斉宣の侍読赤崎貞幹が教授となるが、赤崎が死ぬと再び正誼が教授となった。近思録派にはこれに対する不満があった。
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