中曽根裁定
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中曽根裁定(なかそねさいてい)は、1987年(昭和62年)10月20日に行われた日本の自由民主党の党首である総裁の選挙において、現総裁(内閣総理大臣)の中曽根康弘が、党幹事長の竹下登を次期総裁に指名したことである。
注釈
出典
- ^ 奥島, p. 190.
- ^ 立花 2005, p. 101.
- ^ 安藤俊裕 (2011年8月28日). “田中角栄に反旗、竹下派旗揚げ 「政界のドン」金丸信(5)”. 日本経済新聞 2020年8月2日閲覧。
- ^ 矢野 1994, p. 334.
- ^ 『中日新聞』1987年10月8日付朝刊、3面、「核心24時/ 二階堂氏はどこへ行く 総裁選 出馬断念 『調整役に』と側近 困難な統一行動 陣営分裂の推測も」。
- ^ 早坂 1991, p. 60.
- ^ a b c 奥島, p. 193-195.
- ^ この場合は川島副総裁・三木幹事長による党内の意見調整を経た上で「党内の大勢は佐藤」と池田に報告、それを踏まえて池田が指名するという形が取られた。
- ^ 北岡伸一・田勢康弘『指導力』(日経新聞社、2003年)
- ^ 文藝春秋2004年7月号「ポスト小泉の資格を語ろう」
- 1 中曽根裁定とは
- 2 中曽根裁定の概要
- 3 竹下内閣成立後
- 4 外部リンク
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