上太田慈光寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:28 UTC 版)
上太田の慈光寺は、山号を「小松山」、院名を「慶雲院」と言い、松ヶ嶺城の城主岡本氏の菩提寺として、15世紀末頃に松ヶ嶺城の南方、城の堀切を挟んだ尾根続きの山頂に築かれ、現在もその遺構が残る。城跡は、現在も寺地山、寺中山の名称で呼ばれ、小字名としても「上寺中」「下寺中」で名が残る。岡本氏が城を移し新たな菩提寺を創建すると、その新しい菩提寺は曹洞宗で別宗派であったこともあり、旧菩提寺である慈光寺は急激に衰退し、1616年(元和2年)に廃寺となる。この時、寺の山門が、寺の北にある同宗派の寺である持宝院に移築され現存しており、現在は矢板市指定の文化財として保護されている。周囲には、慈光寺にあったであろう五輪塔や卵塔が散在している。
※この「上太田慈光寺」の解説は、「慈光寺 (矢板市)」の解説の一部です。
「上太田慈光寺」を含む「慈光寺 (矢板市)」の記事については、「慈光寺 (矢板市)」の概要を参照ください。
- 上太田慈光寺のページへのリンク