ヴァイオリンソナタ (ラヴェル)とは? わかりやすく解説

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ヴァイオリンソナタ (ラヴェル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 08:15 UTC 版)

ヴァイオリンソナタ』(フランス語: Sonate pour violon et piano)は、フランスの作曲家モーリス・ラヴェル1875年 - 1937年)がヴァイオリンピアノのために作曲したソナタであり、創作初期にあたる1897年に書かれた単一楽章の『ヴァイオリンソナタ 遺作』と、晩年に近い1927年に書かれた3楽章の『ヴァイオリンソナタ ト長調』の2曲がある。前者は未出版のまま存在が知られていなかったが、ラヴェルの生誕100周年にあたる1975年になって自筆譜が発見され、遺作のヴァイオリンソナタとして出版された。一方、後者については、遺作のソナタが発見されるまではラヴェルが作曲した唯一のヴァイオリンソナタとして知られてきた曲であり、こちらの方が有名な作品である[1]。その第2楽章「ブルース」にはジャズの要素が取り入れられており、後の『左手のためのピアノ協奏曲』や『ピアノ協奏曲 ト長調 』の先駆けとも言える[2]。また、全体を通して見られる声部の独立性や複調といった特徴は、並行して作曲されていた『マダガスカル島民の歌』の作風とも共通している[3][4]。この作品はラヴェルの親友であるヴァイオリン奏者エレーヌ・ジュルダン=モランジュに献呈された。


  1. ^ (1)『ヴァイオリンソナタ(遺作)』、(2)『弦楽四重奏曲』、(3)『序奏とアレグロ』、(4)『ピアノ三重奏曲』、(5)『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』、(6)『ガブリエル・フォーレの名による子守歌』、(7)『ツィガーヌ』、(8)『ヴァイオリンソナタ』の8曲。
  2. ^ 自筆譜に「1897年4月」の日付がある[11]
  3. ^ オレンシュタインは、ラヴェルがこの作品が出版するには不完全だと判断したためと推察している[6]
  4. ^ ダラニーはハンガリー出身だが、生活の拠点はイギリスにあった[16]
  5. ^ 1922年4月8日に『ルヴュ・ミュジカル誌フランス語版』が主催したバルトークを特集する演奏会であり、バルトークは『ピアノのための組曲 BB70』などの自作やコダーイの作品を演奏した[18]
  6. ^ 終演後に『ルヴュ・ミュジカル誌』編集長アンリ・プリュニエールフランス語版の自宅で行われた夕食会でも、バルトークとダラニーは『ヴァイオリンソナタ第1番』を演奏し、ラヴェルはバルトークの譜めくりを行った[19](ダラニーの譜めくりはプーランクが担当[19])。なお、この時プリュニエール宅に集まったのは、ラヴェルのほか、ストラヴィンスキーシマノフスキミヨー、プーランク、オネゲルルーセルといった顔ぶれであり[19]、バルトークは当時のフランスで活躍中の音楽家たちとの交流を大いに喜んだ[17]
  7. ^ 1922年7月、ロンドンにおいて、演奏旅行中のラヴェルも参加した私的な演奏会で、ダラニーがラヴェルの『ヴァイオリンとチェロのためのソナタ』を演奏する機会があった(チェロはハンス・キントラー英語版)。その晩、ラヴェルはダラニーにジプシーの旋律を弾いてほしいと要望し、ラヴェルは朝5時までダラニーの演奏を堪能した[22]
  8. ^ 『ツィガーヌ』は1924年4月26日にロンドンで、ダラニーによって初演され、その後作られた管弦楽伴奏版『ツィガーヌ』は11月30日にパリで、同じくダラニーの独奏で初演された[27]
  9. ^ 1927年12月28日にフランスのル・アーヴルを出航し[37]、1月4日にニューヨークに到着[28]。アメリカ・カナダの25の都市を巡り自作を披露する[38]。帰路は4月21日にニューヨークを出航し[38]、4月27日にル・アーヴルに到着した[39]
  10. ^ ラヴェルは逆に、アメリカ人はもっとジャズと真面目に向き合い[40]、その豊かな音楽を活用すべきだと主張した[41]
  11. ^ ラヴェルの弟エドゥアール・ラヴェルが持っていた大量の自筆譜とスケッチのコレクションの一部である[12]
  12. ^ パリでは第一次世界大戦前からジャズバンドが登場していた[51]。フランスにおいてジャズの要素をいち早く取り入れた例としてはクロード・ドビュッシーの「ゴリウォーグのケークウォーク」(『子供の領分』の第6曲、1908年)がある[52]
  13. ^ ラヴェルは数夜にわたってジョージ・ガーシュウィンアレクサンドル・タンスマンとともにハーレムでジャズを聴いたとされる[55]
  14. ^ ジュルダン=モランジュは、このソナタは「単純さ」ゆえに演奏が難しいと述べている[59]
  15. ^ アメリカ演奏旅行中の1928年1月15日、ニューヨークのガロ劇場でヨーゼフ・シゲティのヴァイオリン、ラヴェルのピアノによってソナタが演奏された際、ラヴェルは第3楽章をリハーサルを上回る速いテンポで開始し、シゲティは非人間的なハイスピードでこの曲を弾くことになった[67]
  16. ^ 『ピアノ協奏曲 ト長調』の冒頭でも、ト長調と嬰へ長調のアルペジオが同時に鳴らされる[61]
  1. ^ a b c d e 井上 2019, p. 29.
  2. ^ a b 諸井 1984, p. 82.
  3. ^ a b c ジャンケレヴィッチ 1970, p. 253.
  4. ^ a b c d e f g 平島 1993, p. 75.
  5. ^ a b Nichols 2012, p. 400.
  6. ^ a b c d e f g オレンシュタイン 2006, p. 188.
  7. ^ a b Nichols 2012, p. 426.
  8. ^ 井上 2019, pp. 22–23.
  9. ^ a b 井上 2019, p. 27.
  10. ^ オレンシュタイン 2006, pp. 183–187.
  11. ^ a b 美山 1993, p. 74.
  12. ^ a b c オレンシュタイン 2006, p. Preface-5.
  13. ^ 井上 2019, p. 33.
  14. ^ 井上 2019, p. 36.
  15. ^ オレンシュタイン 2006, p. 111.
  16. ^ カールパーティ 1998, p. 240.
  17. ^ a b カールパーティ 1998, p. 241.
  18. ^ a b c Nichols 2012, p. 239.
  19. ^ a b c d IFJ. Bartók 2021, p. 196.
  20. ^ a b c d 井上 2019, p. 164.
  21. ^ a b G. HENLE VERLAG, pp. 3–5.
  22. ^ オレンシュタイン 2006, p. 112.
  23. ^ オレンシュタイン 2006, p. 115.
  24. ^ オレンシュタイン 2006, p. 121.
  25. ^ Nichols 2012, p. 259.
  26. ^ a b 井上 2019, p. 153.
  27. ^ 井上 2019, p. 154.
  28. ^ a b c オレンシュタイン 2006, p. 120.
  29. ^ オレンシュタイン 2006, p. 119.
  30. ^ ニコルス 1987, p. 182.
  31. ^ a b c d 平島 1993, p. 76.
  32. ^ 井上 2019, p. 139.
  33. ^ a b c d e ジュルダン=モランジュ 1968, p. 217.
  34. ^ a b c d ジュルダン=モランジュ 1968, p. 232.
  35. ^ オレンシュタイン 2006, p. 122.
  36. ^ a b Nichols 2012, p. 285.
  37. ^ a b 井上 2019, p. 165.
  38. ^ a b オレンシュタイン 2006, p. 124.
  39. ^ 井上 2019, p. 171.
  40. ^ a b c d 井上 2019, p. 168.
  41. ^ a b c ジュルダン=モランジュ 1968, p. 44.
  42. ^ オレンシュタイン 2006, p. 278.
  43. ^ a b c New York Times (1975.2.2).
  44. ^ a b c d e 美山 1993, p. 73.
  45. ^ オレンシュタイン 2006, p. 29.
  46. ^ a b c d ニコルス 1987, p. 25.
  47. ^ Nichols 2012, p. 362.
  48. ^ Nichols 2012, p. 26.
  49. ^ a b 井上 2019, p. 233.
  50. ^ a b オレンシュタイン 2006, p. 187.
  51. ^ a b シュトゥッケンシュミット 1983, p. 267.
  52. ^ ジャンケレヴィッチ 1970, p. 124.
  53. ^ オレンシュタイン 2006, p. 241.
  54. ^ a b c d e オレンシュタイン 2006, p. 245.
  55. ^ a b オレンシュタイン 2006, p. 126.
  56. ^ a b c d e f g h i j k オレンシュタイン 2006, p. 246.
  57. ^ a b c d 平島 1993, p. 78.
  58. ^ a b c 平島 1993, p. 77.
  59. ^ a b c d ジュルダン=モランジュ 1968, p. 229.
  60. ^ ジャンケレヴィッチ 1970, p. 188.
  61. ^ a b c d ニコルス 1987, p. 181.
  62. ^ a b ジャンケレヴィッチ 1970, p. 83.
  63. ^ 諸井 1984, p. 83.
  64. ^ ジャンケレヴィッチ 1970, p. 130.
  65. ^ 井上 2019, p. 240.
  66. ^ ジャンケレヴィッチ 1970, p. 84.
  67. ^ 井上 2019, pp. 167–168.


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