ロンドン五輪後
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同2012年7月、現役選手兼三井住友海上女子陸上部のプレーイングアドバイザーに就任し、4年後の2016年4月には同陸上部の選手兼ヘッドコーチに転任。2013年以降、マラソンでは好成績を残せなくなったが、2016年8月開催のリオデジャネイロオリンピック女子マラソン国内選考会だった、2015年11月のさいたま国際マラソンでは4位(日本人では吉田香織に次いで2番手)に入り、ほか東日本実業団女子駅伝・20年連続の出場となった全日本実業団女子駅伝へ出走するなど、39歳となる2018年現在も現役続行中である。 2017年4月より、城西大学附属城西高等学校のプレイングコーチにも就任している。
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ロンドン五輪後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:15 UTC 版)
2012年11月18日、再起を期して横浜国際女子マラソンに出場したが、11月3日の東日本実業団女子駅伝で右足踝を痛めた影響により23Km過ぎで先頭集団から脱落、8位に敗れた。同年12月23日の山陽ロードレース・ハーフマラソンの部では1時間9分56秒で優勝、同大会2連覇を達成した。翌2013年4月21日は自己記録を目指してロンドンマラソンに出走、3位でゴールするも日本陸連の派遣設定記録だった2時間24分未満に届かず、世界陸上モスクワ大会の女子マラソン代表入りはならなかった。 2013年8月25日、北海道マラソンに出場するも、優勝の渡邊裕子に約3分遅れ2時間32分台の2位だった。同年11月28日、所属のホクレンは来年1月の大阪国際女子マラソンで一線を退くと発表した。
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