ロマーリオ、ロナウド、ニリス (1990年代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:47 UTC 版)
「PSVアイントホーフェン」の記事における「ロマーリオ、ロナウド、ニリス (1990年代)」の解説
1990年にはヒディンク監督が退任し、イングランド代表監督を務めたボビー・ロブソン監督が就任。1990-91シーズンと1991-92シーズンにはリーグ戦2連覇を果たしたが、欧州カップ戦では経営陣が期待したほどの成績を残せず、ロブソン監督は1991-92シーズン終了後に退任した。ヒディンク政権下の1988年にはピート・デ・ヴィッセルのスカウトによってロマーリオが加入して主力選手となっていたが、ロブソン監督はロマーリオとの関係に問題を抱えていた。ロマーリオは1993年までクラブに在籍し、3個のタイトルをもたらした。ロブソンの後任にはハンス・ウェステルホフ監督が就任し、1992-93シーズンのリーグ戦では2位となった。1992-93シーズンにはUEFAチャンピオンズカップが大会形式を変更してUEFAチャンピオンズリーグとなったが、PSVは本選に出場した8クラブのうちのひとつである。1993-94シーズンはア・デ・モス監督が指揮を執り、ゲオルゲ・ポペスク、ニイ・ランプティ、アーサー・ニューマンなどの名選手がいたが3位に終わった。シーズン終了後にはブレーケレンが引退。ブレーケレンは10シーズンの間PSVのゴールを守り、クラブ史上最高のキーパーのひとりとみなされている。1994年夏にはロナルト・ヴァーテリュースとスタンレイ・メンソのふたりのキーパーが加入してポジションを争い、より若いワテレースがポジションを掴んだ。デ・モス監督は1994年10月に解任され、キース・ライフェルス監督が暫定的にチームを指揮した後、12月にディック・アドフォカートが正式な監督に就任した。1994年夏に加入したロナウドは1994-95シーズンに30得点を挙げ、同じく新加入のルク・ニリスとコンビを組んだが、アヤックスとローダJCに次ぐ3位に終わった。1995-96シーズンはプレーの質を向上させて2位となり、UEFAカップでは準々決勝に進出。バルセロナに敗れた。守備的ミッドフィールダーのウィム・ヨンク、ニリス、ニューマン、センターバックのヤープ・スタム、フィリップ・コクー、若手のボウデヴィン・ゼンデンなどが在籍していた1996-97シーズンには5年ぶりにリーグ優勝した。21得点を挙げたニリスがリーグ得点王となり、オランダ年間最優秀選手賞を受賞した。1997-98シーズンはアヤックスのシーズンとして記憶されており、ニリスとヒレス・デ・ビルデのベルギー人コンビが多くの得点を挙げたが、リーグ戦でもKNVBカップ決勝でもアヤックスに敗れた。UEFAチャンピオンズリーグでは1992-93シーズン以来となる本選に出場し、ニューカッスル・ユナイテッドFC(イングランド)とFCバルセロナ(スペイン)を上回る勝ち点を挙げたが、FCディナモ・キエフに次ぐ2位でグループリーグ敗退となった。
※この「ロマーリオ、ロナウド、ニリス (1990年代)」の解説は、「PSVアイントホーフェン」の解説の一部です。
「ロマーリオ、ロナウド、ニリス (1990年代)」を含む「PSVアイントホーフェン」の記事については、「PSVアイントホーフェン」の概要を参照ください。
- ロマーリオ、ロナウド、ニリスのページへのリンク