ルーマニア社会主義共和国
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ルーマニア社会主義共和国(ルーマニアしゃかいしゅぎきょうわこく、Republica Socialistă România, レプーブリカ・ソーチャリスタ・ロムニア)は、1945年から1989年まで存在したルーマニア共産党による一党独裁のソ連型社会主義国である。1965年8月21日までの国号はルーマニア人民共和国(ルーマニアじんみんきょうわこく、Republica Populară Română, レプーブリカ・ポプラーラ・ロムナ)であった。国歌は「三色旗」であり、1848年に国歌として採用された『Deşteaptă-te, române!』(『目覚めよ、ルーマニア人!』)は斉唱を禁止された[1]。国章は、森林とカルパティア山脈を背景に、小麦の穂と油井が描かれており、その後ろから太陽が顔を覗かせる。
- 1 ルーマニア社会主義共和国とは
- 2 ルーマニア社会主義共和国の概要
ルーマニア人民共和国
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詳細は「ルーマニア社会主義共和国」を参照 ルーマニアは第二次世界大戦で枢軸国に付いたが、ソ連軍の侵攻・全土占領により従来の立憲王国は崩壊し、ルーマニア共産党による独裁支配が完成した。他の東欧諸国と同様にソ連に対して忠実で、典型的な衛星国の一つであった。 しかし、1965年にニコラエ・チャウシェスク政権が登場すると、豊富な石油生産を背景にした経済建設に成功した事でソ連から一定の距離をおき、当時ソ連と対立していた中国へと接近し、ソ連との断交と復縁を繰り返した。またソ連共産党との確執のあった日本共産党にも接近した。 ルーマニアもチャウシェスク政権以降は「衛星国」として扱わない場合が多い。
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