ループした路線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 09:37 UTC 版)
(1)、(2)以外にも以下の問題を考えることができる。 (3) (1)の場合と同様、A氏はトロッコを別路線に引き込むことができるが、(1)とは違いこの別路線は5人の手前で再び本線に合流している。今度の問題ではこの別路線には前述のC氏がおり、トロッコを別路線に引き込めば、トロッコはC氏にぶつかって止まるので、5人は確実に助かる。ただしその結果としてC氏は確実に死ぬ。トロッコを別路線に引き込むべきか? (4)A氏はトロッコを別路線に引き込むことができるが、この別路線は5人の手前で再び本線に合流している(ここまでは(3)と同じ)。別路線には大きな鉄の塊があるため、トロッコを別路線に引き込めば、トロッコはその鉄の塊にぶつかって止まるので、5人は確実に助かる。しかし、鉄の塊の手前には前述のB氏がいて、B氏は確実に死ぬ。トロッコを別路線に引き込むべきか? 3番目の問題は、最初の質問と同じようにA氏の行動は分岐の切り替えのみで、他者を直接自分の手で死に追いやるわけではない。しかし、2番目の質問と同じようにトロッコが止まるのはC氏に激突するからこそであり、その死は副産物(巻き添え)ではなく行為者の意図の結果である。4番目の問題は3番目とあまり変化がないようでいて、実は鉄の塊が線路を塞いでいる以上その先で路線が再び合流していようと意味はなく、本質的には(1)と完全に同じ状況を表現を変えて再度出題にしているに過ぎない(トロッコが止まるのはB氏に激突するからではなく、あくまでその後の鉄の塊との激突によってである)。 どの質問にも一貫して合理的な判断を下すのなら、同じ回答が導きだせる。つまり、1人を犠牲にして5人を助けるか、5人を犠牲にして1人を助けるかのどちらかである。または義務論に従って判断するなら(誰かの命を他の目的のために利用すべきではないと考えるなら)すくなくとも(2)と(3)には反対しているはずである。もし判断が一貫しないのであればそれは何故だろうか。何故ある場合は誰かを犠牲にすることが許されて、他の場合には許されないと感じるのかを、合理的に説明できるだろうか。少なくともこれらのようなジレンマを一貫して合理的に解決できる倫理学の指針はない。
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