リーガル千太
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リーガル 千太(リーガル せんた、1901年7月2日 - 1980年5月10日)東京都出身、本名:冨田(とみた) 寿(ひさし)。 13歳で早稲田の本屋に奉公、年季明け直後にトラブルで今度は別の古本屋に勤める、のちに古本屋が繁盛し社員になる。その頃に寄席通いが長じて1926年9月に柳家金語楼に入門、前座名柳家金洲。1930年に日本芸術協会設立で師匠と行動を共にし、柳家緑朗(緑郎とも)に改名。 万吉の単独引退に伴い、ピンで漫談をしたり、大江笙子と組んで漫才を再開したりした後、1969年頃に芸能界を引退し、落語協会事務員に転向した。 晩年は、東宝演芸場のモギリなども行っていたようだが、自分の弟子である春日三球・照代の真打ち披露興行には列席した。
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