リパブリック社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 17:02 UTC 版)
「ウィリアム・C・デュラント」の記事における「リパブリック社」の解説
1912年ごろ、デュラントはリパブリック・モーター・カンパニー(Republic Motor Company)を6500万ドルでデラウェアに持株会社として設立し、デュラントのさまざまな実務会社を束ねた。リパブリック社ではシボレーやリトルの自動車も販売したが、外部の資本を呼び込むことに失敗し会社としては軌道に乗らなかった。 デュラントはリトル車とシボレー車をリパブリック・モーター・カンパニーで宣伝販売することにした。この方針転換に5月下旬ら6月初旬にかけてデトロイトとフリントでは大騒ぎとなった。デュラントはリパブリック・モーターを拡大するために、多数の取扱会社(ディーラー)との契約を推し進めようとした。しかし、ディーラー、一般、プレスなどはみな、デュラントのマルチブランドネームに混乱した。リパブリック、リトル、シボレーの違いがわからなかった。すでに同名のリパブリックという会社がオハイオ州ハミルトンで自動車製作していた。オハイオ州の車両登録局の記録では数台のリトル車とシボレー車がリパブリックとして登録され、また数台のリトル・フォーは『シボレー・フォー』として登録されていた。 1913年には会社終了。リパブリックの工場は後にシボレー工場となった。
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