リチャード二世とは? わかりやすく解説

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リチャード2世 (イングランド王)

(リチャード二世 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 13:50 UTC 版)

リチャード2世Richard II, 1367年1月6日 - 1400年2月14日)は、プランタジネット朝最後のイングランド王(在位:1377年6月22日 - 1399年9月29日)。父はイングランド王エドワード3世と王妃フィリッパ・オブ・エノーの長男エドワード黒太子、母はその妃ジョーン・オブ・ケント


注釈

  1. ^ ランカスター公は密かにイングランド王位への野望を抱いているという噂が流れ、周囲から疑われたこと、エドワード3世時代末期から政権を司ってきたとはいえ、黒太子の死去直前の1376年に開催された善良議会の決定を翌年の議会で強引に覆したことから警戒され、摂政候補から外されていた[3]
  2. ^ 反乱鎮圧後リチャード2世はタイラーの要求を撤回したが、そのうちの一つである農奴制は時代の流れで15世紀前半までに自然消滅へ向かっていった[5]
  3. ^ 亡命した2人のほか、ヨーク大司教アレクサンダー・ネヴィルは聖職者だったため死刑を免れたが、残りの6人が処刑された。議会の弾劾を否定した王座裁判所長官ロバート・トレジリアンとウォリック伯の同族に当たるサー・ジョン・ビーチャム、ロンドン市長ニコラス・ブレンバー、サー・サイモン・バーリーらが処刑され、トレジリアンと同じくリチャード2世を擁護した5人の裁判官も追放された[8]
  4. ^ リチャード2世はこの議会で1386年から1388年の一連の出来事に対する恩赦を宣言したが、50人は対象から外すとも言ったため、貴族たちは対象者の名前が明かされていなかったことから疑心暗鬼を生じ、600人以上が恩赦を求め王への金銭支払いに走った。続けてリチャード2世はケント、エセックス、ハートフォードシャーなど地方からも赦免と引き換えに金銭を徴収、各地から強引に金を脅し取る手法は周囲の反感を買った[11]

出典

  1. ^ リチャード2世』 - コトバンク
  2. ^ リチャード2世 - Find a Grave(英語)
  3. ^ 森 1986, pp. 156–157; 川北 1998, pp. 102–103; ロイル 2014, p. 32.
  4. ^ 森 1986, p. 160 - 161; 青山 1991, p. 378; 川北 1998, p. 106; 佐藤 2003, p. 119; キング 2006, p. 291-292; ロイル 2014, p. 31-33.
  5. ^ キング 2006, p. 300-302.
  6. ^ 森 1986, p. 161 - 163; 青山 1991, p. 378-380; 川北 1998, p. 107-109; 佐藤 2003, p. 119-120; キング 2006, p. 292-300; ロイル 2014, p. 38-45.
  7. ^ 森 1986, p. 163 - 164; 青山 1991, p. 380-383; 川北 1998, p. 110-111; 佐藤 2003, p. 120-121; キング 2006, p. 302-305; ロイル 2014, p. 49-53.
  8. ^ 青山 1991, p. 384-385; キング 2006, p. 308; ロイル 2014, p. 58.
  9. ^ 森 1986, p. 164-165; 青山 1991, p. 383; 川北 1998, p. 111-112; 佐藤 2003, p. 120-121; キング 2006, p. 305-311; ロイル 2014, p. 53-62.
  10. ^ 青山 1991, p. 386-387; 川北 1998, p. 112; 佐藤 2003, p. 118-119; キング 2006, p. 311; ロイル 2014, p. 69-73.
  11. ^ 青山 1991, p. 387-389; キング 2006, p. 313-314; ロイル 2014, p. 74-76.
  12. ^ 森 1986, p. 166; 川北 1998, p. 112; ロイル 2014, p. 75-76.
  13. ^ 森 1986, p. 166-167; 青山 1991, p. 403-404; 川北 1998, p. 112; 佐藤 2003, p. 122; キング 2006, p. 311-312; ロイル 2014, p. 76-78.
  14. ^ 森 1986, p. 167-169; 青山 1991, p. 404-406; 川北 1998, p. 112-113; 佐藤 2003, p. 122; キング 2006, p. 315-318; ロイル 2014, p. 78-84, 424.
  15. ^ 森 1986, p. 170; ロイル 2014, p. 45-47, 66-67, 423.
  16. ^ 森 1986, p. 170-172; ロイル 2014, p. 69-70, 99-100.
  17. ^ 森 1986, p. 158-160; ロイル 2014, p. 39, 49, 62-67, 77, 84-86.


「リチャード2世 (イングランド王)」の続きの解説一覧

リチャード二世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 08:12 UTC 版)

ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」の記事における「リチャード二世」の解説

『リチャード二世』に基づく。冒頭ではイングランド王リチャード2世が、従弟であるヘンリー・ボリングブルックとトマス・モウブレー争い仲裁し2人追放とする。ヘンリーの父ジョン・オブ・ゴーントが死ぬと、王はその財産没収する。これに怒ったヘンリー反乱起こし、王を捕えるヘンリー王位についてヘンリー4世王となり、リチャード暗殺される日本語版では、3話分割されシーズン1第1話から第3話(リチャード二世パート1-3)となる。

※この「リチャード二世」の解説は、「ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」の解説の一部です。
「リチャード二世」を含む「ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」の記事については、「ホロウ・クラウン/嘆きの王冠」の概要を参照ください。

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