ラランデ暦書翻訳
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弘化元年(1844年)天文方作成の天保暦が施行されると、5月土御門晴雄に伝授を求めたが許されず、天文方で知った『ラランデ暦書』の翻訳を決意した。 嘉永3年(1850年)3月藩士安芸雅太郎が長崎摂津町の質屋高見に『ラランデ暦書』を発見したため、自ら出向き、藩主からの御内金で購入した。嘉永4年(1851年)3月より高畠耕斎の助けを借り、養子小出光教に図表、数字を訳させ、2年後「日躔月離及五星暦」「日食月食」の訳文を完成させた。 慶応元年(1865年)8月17日病没し、寺町善学寺に葬られた。法名は修算院自達居士。大正4年(1915年)贈従五位。
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