ラオス王国とは? わかりやすく解説

ラオス王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 11:47 UTC 版)

ラオス王国(ラオスおうこく、ラーオ語: ພະຣາຊະອານາຈັກລາວ、ローマ字転写: Phra Ratxa A-na-chak Lao)は、20世紀ラオスに存在した歴史上の王朝。旧ルアンパバーン王国チャンパーサック王国の統合によって、近代国家としてのラオスの領域を確定させた。首都はヴィエンチャンに置かれていたが、旧ルアンパバーン王国の王族が国王を務めていたため、王宮の所在地はルアンパバーンであった。なお、今日のルアンパバーンは町全体が世界遺産に登録されており、かつての王宮も保存されている。


  1. ^ 日本共産党中央機関紙編集委員会(編)「ラオス人民民主共和国の樹立」『世界政治資料』第467号、日本共産党中央委員会、1975年12月25日、2頁、NDLJP:1409577/3 
  2. ^ 「樹立されたラオス人民民主共和国(世界と日本) / 三浦 一夫」『前衛 : 日本共産党中央委員会理論政治誌』第391号、日本共産党中央委員会、1976年2月1日、246 - 249頁、NDLJP:2755824/128 


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ラオス王国

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ルアンパバーン王国」の記事における「ラオス王国」の解説

詳細は「ラオス王国」を参照 第一次インドシナ戦争戦っていたフランスは、1949年6月14日成立したベトナム国正統性強調し、かつインドシナ全域影響力を残すために、1949年7月19日フランス連合内の協同国としてラオス王国を独立させた。ここに、ルアンパバーン王国新生ラオス王国に含まれることで消滅した。しかし、この独立名目過ぎず外交権軍事フランス握られたままであった

※この「ラオス王国」の解説は、「ルアンパバーン王国」の解説の一部です。
「ラオス王国」を含む「ルアンパバーン王国」の記事については、「ルアンパバーン王国」の概要を参照ください。

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