ヨーロッパシーズン制(1985-1990)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:27 UTC 版)
「プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)」の記事における「ヨーロッパシーズン制(1985-1990)」の解説
アルゼンチン代表のカルロス・ビラルド監督のアドバイスにより、1985年に大会方式が変更された。伝統的に、南アメリカなど南半球の他国では暦年制(1月頃にシーズンが始まり12月頃に終わる)が採用されていたが、ヨーロッパの主要国のように秋春制(ヨーロッパ)/春秋制(アルゼンチン)(7月にシーズンが始まり6月に終わる)を採用した南米初のリーグとなった。加えて、それまでの短期リーグ制を廃止し、1967年以前のように1年を1シーズンとしてホーム&アウェーの総当たり戦を行なう方式に変更された。1985年前半には最後の短期リーグであるナシオナル1985が行なわれ、メトロポリターノ1985は行なわれずに1985-86シーズンに移行した。1987-88シーズンまでは勝利勝ち点が2点だったが、1988-89シーズンには3点となった。また、同点のまま90分を終えた場合にはPK戦を行ない、PK戦の勝者に勝ち点2点を、PK戦の敗者に勝ち点1点を与える方式が採用されたが、勝利勝ち点の変更もPK戦の実施も1988-89シーズンのみだった。
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