ムエタイ及びキックボクシング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 05:10 UTC 版)
「山木ボクシングジム」の記事における「ムエタイ及びキックボクシング」の解説
キックボクサーのウルフ隼人(本名:山木敏弘、1953年4月29日生)が、自身の現役時に目黒ジムから円満独立で下北沢の繁華街に設立(1984年8月)。選手を続けながらジムを経営していた(キックボクシングでは兼任が許される)。 1987年、日本ムエタイ連盟を結成し山木が会長となるが、1989年、山木ジムは日本ムエタイ連盟を終了し、MA日本キックに加入、1996年3月にMA日本キックが分裂し目黒ジム離脱で藤本の代表退任に伴い山木は42歳の若さでMA日本キック理事長となった。山木ジムは伊藤隆、山口元気、ラビット関、HAYATO、菅原勇介、神村エリカらを輩出し、彼らを王者・世界王者にまで育てた。一時期は同ジム所属のキック王者が6・7人同時に存在していたほどである。 なお2000年前後には朝堂院大覚総裁率いる世界格闘技団体連合振興会や佐山聡創設したSAボクシングにも参加。
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