ボナー・ロー内閣財務大臣(1922年-1923年)
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「スタンリー・ボールドウィン」の記事における「ボナー・ロー内閣財務大臣(1922年-1923年)」の解説
ボナー・ロー内閣において彼は財務大臣に就任。 1923年1月31日にはアメリカ合衆国と交渉をまとめ、対米戦債9億8000万ポンド、平均利子率3.3%で62年間にわたって支払うことを取り決めた。 1923年5月にボナー・ローの病気が悪化し、同月20日に首相を退任。国王ジョージ5世は後任の首相を選ばねばならなくなった。候補は二人考えられた。一人はボールドウィン、もう一人は外務大臣の初代カーゾン侯爵ジョージ・カーゾンである。家柄や政治経験の面ではカーゾン侯の方が圧倒的に上だが、カーゾン侯は庶民院議員ではなく貴族院議員であり、しかも反民主的な貴族主義者で知られていた。一方平民出身の庶民院議員ボールドウィンは庶民院保守党陣笠議員の支持を集めており、シティの金融資本家や貿易業界からも信頼されていた。 ボールドウィンの支持者である庶民院議員ジョン・デイヴィッドソン(英語版)によって書かれた「政府重職に占める貴族の数が多すぎて庶民院で反発が起こっている」「カーゾンを支持する保守党庶民院議員は50人もいないであろう」という内容の手紙が国王個人秘書(英語版)初代スタムフォーダム男爵アーサー・ビッグ(英語版)を通じて国王ジョージ5世に手交された(ただしスタムフォーダム卿自身はカーゾン侯の支持者でカーゾン侯に組閣の大命を与えるべきことを国王に助言している)。また国王から助言を求められたバルフォアも「首相職は庶民院に残しておくべき」と奉答した。 そのため結局国王はボールドウィンに組閣の大命を与えることを決意した。
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