ベレロポーン
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ベレロポーン(古希: Βελλεροφῶν[注釈 1])またはベレロポンテース(古希: Βελλεροφόντης[注釈 2])は、ギリシア神話に登場するコリントスの王[1]。神馬ペーガソスに乗ってキマイラを退治した英雄として名高い[2]。 長母音を省略してベレロポン、ベレロポンテスとも表記される。英語読みはベレロフォン。
注釈
- ^ ギリシア語ラテン翻字: Bellerophōn
- ^ ギリシア語ラテン翻字: Bellerophontēs
- ^ グラウコスの名前も「海の緑」という意味であり、ベレロポーンが海から生まれたことを示唆している[6]。
- ^ エウリュノメーあるいはエウリュメデーはいずれも海の女神の名前である[6]。
- ^ 例えば、ヘルメースはアルゴスを殺したことにより、アルゲイポンテースという異名がある[6]。
- ^ ホメーロスでは后の名はアンテイアだが[7]、後のギリシア悲劇の詩人たちはステネボイアとしている。ここでは後者に従った[6][11]。
- ^ ホメーロスでは王の名は示されない[7]。またハンガリーの神話学者カール・ケレーニイによれば、キマイラを育てたカーリア王アミソダレースのことだともいう[6]。
- ^ 一説にはアンティクレイアとも[1]。
- ^ ベレロポーンとテーセウスは、本当の父親がポセイドーンだと言われている点で共通している。
- ^ テスプはヒッタイト系の太陽神[17]。
出典
- ^ a b c d e f 高津 1960, p. 258.
- ^ a b ケレーニイ, 1974 & 2, p. 91.
- ^ ホメーロス, p. 190.
- ^ a b アポロドーロス, p. 50.
- ^ a b c d 松平, p. 414.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n ケレーニイ, 1974 & 2, pp. 95–101.
- ^ a b c d e f g ホメーロス, pp. 190–192.
- ^ a b c 松平, p. 413.
- ^ a b c d e f アポロドーロス, p. 79.
- ^ a b c d e ヒュギーヌス, p. 101.
- ^ a b c 高津 1960, p. 137.
- ^ a b 高津 1960, p. 227.
- ^ ケレーニイ, 1974 & 2, pp. 239.
- ^ 高津 1960, p. 6.
- ^ ヒュギーヌス, p. 320.
- ^ a b グレーヴス, 1955 & 1, p. 228.
- ^ グレーヴス, 1955 & 1, p. 194.
- 1 ベレロポーンとは
- 2 ベレロポーンの概要
- 3 系図
- 4 脚注
ベレロポーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 23:49 UTC 版)
ペーガソスはコリントス出身の英雄ベレロポーンの愛馬になったとも伝えられている。ピンダロスの詩によると、最初ベレロポーンはペイレーネーの泉に現れるペーガソスを捕らえようとして苦労した。すると夢にアテーナーが現れて面繋のついた黄金の轡を授けた。ベレロポーンはこの轡を用いることでようやくペーガソスを捕らえることができた。ペーガソスはポセイドーンからベレロポーンに与えられたともいう。そしてベレロポーンはペーガソスに騎乗して戦うことで、アマゾーンやソリュモイ人の討伐、怪物キマイラを滅ぼすという武勲をたてた。 しかしベレロポーンは次第に増長し、ついにはオリュムポスに昇って神々の集会に加わり、神々がどこに自分の座を持っているのかを確かめようとした。しかしベレロポーンはゼウスの怒りに触れ、驚いたペーガソスはベレロポーンを振り落とした。大地に墜落したベレロポーンは足を折り、一人淋しくその生涯を終えた。
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ベレロポーン
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後にプロイトスは殺人の罪でコリントスを追放されたベレロポーンの罪を浄めた。このときプロイトスの妻はベレロポーンに恋し、誘惑の手紙を送った。しかしベレロポーンが断ったため、彼女はプロイトスにベレロポーンが自分を誘惑する手紙を送ってきたと讒言し、殺すよう言った。プロイトスはこれを信じたが自分で殺そうとはせず、義父のイオバテースにベレロポーンを殺してほしいと手紙を書き、それをベレロポーンに渡してイオバテースの使いに出した。手紙を読んだイオバテースはベレロポーンにキマイラ退治などの難題を課し、それを見事に成し遂げたのを知ったとき、自分の娘と結婚させた。 プロイトスの妻ステネボイアはベレロポーンの結婚を知って自殺したとも、ベレロポーンに殺されたともいわれる。プロイトス自身はペルセウスに殺されたとする伝承があるが、直系の子孫はメガペンテース以降、アルゲイオス、アナクサゴラース、アレクトール、イーピスとカパネウス、ステネロス、キュララベースと続いた。 なお、コリントスにはプロイトスが創建したとされるアポローン神殿が、シキュオーンにはヘーラー神殿があったという。
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