プロ入りとオリオールズ時代(1977年 - 1988年)
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1973年のドラフト3巡目(全体63位)でボルチモア・オリオールズから指名を受けた。 1977年4月7日にメジャーデビュー。160試合に出場して打率.283、28本塁打、88打点を記録し、ミッチェル・ページ(英語版)、バンプ・ウィルスらを抑えて新人王に選出された。シーズン100三振(104)を喫したのは自身最初で最後であった。守備ではリー・メイがこの年まで一塁手を守り、マレーは指名打者での出場が多かった。翌年からは一塁手としての出場が一気に増えた。 1978年は打率.285・27本塁打・95打点・OPS.836などの成績を残し、MVP投票では8位に入った。 1980年は打率.300・32本塁打・116打点・OPS.873などの成績を残し、MVP投票では6位に入った。 1981年は1981年のMLBストライキの影響で22本塁打・78打点ながら2冠を獲得した。 1982年は打率.316・32本塁打・110打点・OPS.940などの成績を残し、MVP投票ではロビン・ヨーントに次ぐ2位に入った。 1983年、自己最多の33本塁打を記録し、シルバースラッガー賞を初受賞。カル・リプケンやエースのスコット・マクレガーなどと共にチームのワールドシリーズ制覇に貢献し、MVP投票ではチームメイトのリプケンに次ぐ2位に入った。 1984年は打率.306・29本塁打・110打点・OPS.918などの成績を残し、MVP投票では4位に入った。オフに日米野球で来日した際には、槙原寛己から平和台球場史上最長と言われる場外本塁打を放っている。 1985年は打率.297・31本塁打・124打点・OPS.906などの成績を残し、MVP投票では5位に入った。 1988年12月14日にロサンゼルス・ドジャースにトレード移籍。
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