プエルトリコ州兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 09:16 UTC 版)
プエルトリコ州兵(英語: Puerto Rico National Guard、スペイン語: Guardia Nacional de Puerto Rico)は、プエルトリコにおける州兵である。陸軍州兵と空軍州兵から構成され、陸空合わせた戦力はおよそ10,000人程度である。
- ^ Vicens, Antonio (2012年). “Ponencia Vista de Transición Gubernamental 2012” (Spanish). 2014年2月27日閲覧。
- ^ El ataque Nacionalista a La Fortaleza; by Pedro Aponte Vázquez; Page 7; Publisher: Publicaciones RENÉ; ISBN 978-1-931702-01-0
- ^ U.S. Department of Defense, DVIDS, [1]
- 1 プエルトリコ州兵とは
- 2 プエルトリコ州兵の概要
- 3 歴史
- 4 部隊
プエルトリコ州兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 07:12 UTC 版)
「ルイス・エステベス」の記事における「プエルトリコ州兵」の解説
エステベスはプエルトリコ人部隊である第23大隊(23rd Battalion)の編成に関与した。同大隊は第一次世界大戦中にはパナマに駐留していた。その後、プエルトリコに設置されたキャンプ・ラス・カサス(英語版)に派遣され、ポルトリコ連隊(Porto Rico Regiment)に配属される予定だったプエルトリコ人将校らの教育を担当した。なお、同連隊は1919年に第65歩兵連隊(英語版)と改称されている。こうした勤務の中でプエルトリコにおける州兵組織の必要性を感じた彼は、これの設置を連邦政府およびプエルトリコ議会に提案し、まもなく承認された。1918年、少佐昇進。1919年、プエルトリコ州兵第1連隊が設置された。第一次世界大戦後、エステベスはワシントンD.C.での勤務に移るが、まもなく正規軍勤務の職を辞する。医師により比較的寒冷な地域での滞在は彼の妻にとって致命的な結果をもたらしうるという警告を受けた為であった。その後は島に戻り、プエルトリコ州兵の初代司令官となる。 1940年10月、現役復帰が命じられ、第92歩兵旅団戦闘団(英語版)の指揮官に任命される。その後、プエルトリコ知事代行のホセ・ミゲル・ガヤルド(英語版)が彼を呼び戻し、陸軍との共同の元で州兵部隊の訓練を行わせた。エステベスはわずかな期間のうちに、9個連隊の編成および訓練を完了させた。1946年、プエルトリコ州兵の再編を開始し、以後1957年5月に退役するまで州兵の総司令職である上級幕僚(Adjutant General)として務めた。 1950年10月30日、プエルトリコ国民党(英語版)は米国法による支配およびプエルトリコ自治政府に対する不満からプエルトリコ各地の都市で暴動を起こした(1950年代のプエルトリコ国民党による反乱(英語版))。ルイス・ムニョス・マリン(英語版)知事の要請を受けたエステベスは治安維持の為にプエルトリコ州兵を出動させ、ハユヤ(英語版)、ウトゥアド(英語版)、サンフアン(英語版)など、各地で国民党派の鎮圧に当たった。
※この「プエルトリコ州兵」の解説は、「ルイス・エステベス」の解説の一部です。
「プエルトリコ州兵」を含む「ルイス・エステベス」の記事については、「ルイス・エステベス」の概要を参照ください。
- プエルトリコ州兵のページへのリンク