ブルノへ戻る(1875年 - 1879年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 16:01 UTC 版)
「レオシュ・ヤナーチェク」の記事における「ブルノへ戻る(1875年 - 1879年)」の解説
ブルノに戻ったヤナーチェクは師範学校の臨時教員となり、アウグスティノ会修道院聖歌隊とスヴァトプルク合唱協会の指揮を再開した。新たにブルノ・クラブ合唱協会聖歌隊の指揮者にも就任し、多忙となったため1876年10月にスヴァトプルク合唱協会の指揮者を辞任した。ブルノに戻ったヤナーチェクが手掛けた作品には男声合唱曲の『まことの愛』、『沈んだ花環』のほか、初の器楽作品である『管弦合奏のための組曲』、メロドラマ『死』などがある。イーアン・ホースブルグはこの時期のヤナーチェクを「平凡な成行きで作曲と編曲にも手を染めた有能な教会音楽家以上の存在であることを暗示するものは、まだそこにはいっさいなかった」と評している。
※この「ブルノへ戻る(1875年 - 1879年)」の解説は、「レオシュ・ヤナーチェク」の解説の一部です。
「ブルノへ戻る(1875年 - 1879年)」を含む「レオシュ・ヤナーチェク」の記事については、「レオシュ・ヤナーチェク」の概要を参照ください。
- ブルノへ戻るのページへのリンク