ブルターニュ継承戦争
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ブルターニュ継承戦争(ブルターニュけいしょうせんそう、仏: Guerre de Succession de Bretagne, 英: Breton War of Succession, 1341年 - 1365年)は、百年戦争初期において、ブルターニュ公ジャン3世の継承争いにより起きた戦争で、イングランド王、フランス王が介入し、両者の代理戦争の様相を示した。
- ^ Ronald H. Fritze; William Baxter Robison (2002). Historical Dictionary of Late Medieval England, 1272-1485. Greenwood Publishing Group. p. 231. ISBN 978-0-313-29124-1
- ^ イングランド側の記録ではジャン・ド・モンフォールをジャン4世とし、以降1代ずつずれるが、ジャン・ド・モンフォールをブルターニュ公に含めないフランス側の表記の方が一般的なため、それに従った。
- 1 ブルターニュ継承戦争とは
- 2 ブルターニュ継承戦争の概要
- 3 背景
- 4 ジャン・ド・モンフォールの捕獲
- 5 シャルル・ド・ブロワ捕獲
- 6 参考文献
ブルターニュ継承戦争
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詳細は「ブルターニュ継承戦争」を参照 1341年にジャン3世が嗣子無くして没すると、姪であるジャンヌ・ド・パンティエーヴル及びその夫であるシャルル・ド・ブロワ(シャティヨン家出身でギーズの領主、ブロワ伯の弟)と、ジャン3世の異母弟ジャン・ド・モンフォール(イングランド側の史料ではこちらをジャン4世とよぶことも)、およびその息子ジャン4世(フランス側の史料)との間で相続争いが勃発した。世に言うブルターニュ継承戦争である。時は百年戦争真っ只中であり、ブルターニュの相続争いも百年戦争にリンクした。フランス王フィリップ6世は甥に当たるシャルルを支持し、イングランド王エドワード3世はモンフォール父子を支持した。 戦争は一進一退が続いたが、1364年のオーレの戦いでシャルルが戦死したことにより、翌1365年のゲランド条約でジャン4世の公位が認められた(モンフォールは戦時中に死去)。ジャン4世は公位の代償としてフランス王シャルル5世への臣従を余儀なくされるが、後に反旗を翻してイングランドに亡命する。しかし、1380年にシャルル5世が死去してシャルル6世が新王に即位すると、和解して帰国した。 1392年、ジャン4世は腹心のオリヴィエ・ド・クリッソンと仲違いし、オリヴィエがシャルル6世の許に亡命する事件が起きた。シャルル6世はこれを機にブルターニュを併合しようと画策したが、精神に異常をきたしてジャン4世はことなきを得た。
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