フリードリヒ1世の第5次イタリア遠征
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「レニャーノの戦い」の記事における「フリードリヒ1世の第5次イタリア遠征」の解説
1174年9月、フリードリヒ1世は第5次イタリア遠征に着手した。ロンバルディア地方での間断なく続く反乱の鎮圧と教皇との不和を解決するためにである。 フリードリヒはアルプスの向こうでは8000人の騎士を率いていて9月の終わりにはピエモンテに到着した。彼のいとこハインリヒ獅子公と彼の軍はいったんは帝国軍の遠征から外れた。 フリードリヒはスーザで1168年の振る舞いの雪辱を果たしたかった。9月30日彼の軍はこれを攻略し焼き払った。 彼の次の目標はアスティの町であった。彼は7日間の包囲戦で攻略している。10月には、フリードリヒ1世はついに約束していたボヘミアからの増援を受けた。フリードリヒ1世の迅速かつ猛烈な当初の成功には、辺境伯、モンフェッラート侯 グリエルモ5世とビアンドラーテ伯がロンバルディア同盟を破ったからである。
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