フライコール・ヴァイマル共和国軍
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「フランツ・フォン・エップ」の記事における「フライコール・ヴァイマル共和国軍」の解説
1919年、国防大臣グスタフ・ノスケの支援を受け、ドイツ義勇軍(フライコール)のエップ義勇軍(ドイツ語版)を組織した。エップ義勇軍にはエルンスト・レーム、ハンス・フランク、ルドルフ・ヘス、グレゴール・シュトラッサー、オットー・シュトラッサーなど、後のナチ党幹部になる人物の多くが参加していた。エップ義勇軍は他のフライコールと共に、社会主義者が組織したバイエルン・レーテ共和国を武力で打倒し、700人近い社会主義者を殺害したとされる。バイエルン・レーテ共和国打倒後、エップはヴァイマル共和国軍に入隊し、義勇軍は陸軍第21ライフル旅団としてエップの指揮下に再編成された。 1920年3月には、カップ一揆に影響を受け、バイエルン人民党のグスタフ・フォン・カール、ミュンヘン警視総監エルンスト・ペーナー(ドイツ語版)、郷土軍(ドイツ語版)のゲオルク・エシェリヒ(ドイツ語版)と共にクーデターを計画し、左派的なバイエルン州首相ヨハネス・ホフマンを退陣に追い込んだ。4月にはルール蜂起を鎮圧するため派遣された。1921年に国軍第7軍管区都市司令部兵站部長として武器調達の任務に就いていたレームの仲介でアドルフ・ヒトラーと面会し、6月に少将に昇進する。右派団体に資金提供を行っていたが、1923年10月31日に中将で除隊し、右翼政治活動に専念した。
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