ニッケン・コンスタック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/29 02:21 UTC 版)
「日本軽自動車」の記事における「ニッケン・コンスタック」の解説
日建機械工業は、日本自動車工業・日本軽自動車からの外注を受けて、NJ、ニッケイ・タロー用のVA型エンジンを生産していた機械メーカーであったが、1958年(昭和33年)から軽自動車「コンスタック」の生産を開始した。 1950年代まで多数のメーカーが乱立していた日本のオートバイ業界では、メーカーの財務・経理体質の前時代性・脆弱さから運転資金不足を起こして倒産する事例がしばしばあったが、一部ではメーカーが倒産すると、利害関係者である取引先販売店や部品納入企業が支援を行い、倒産企業の生産を引き継ぐ第二会社を設立して延命を図る慣行的事例が幾つか見られた。もっとも、そのほとんど全てが無理な延命で、1960年代までにはそれらの第二会社も行き詰まり、淘汰された。 コンスタックは、エンジンメーカーである日建機械が、日本軽自動車からニッケイ・タローの設計や生産設備を引き継いで車両生産を継続させたもので、オートバイ業界における第二会社設立のような企図があったと推察される。 コンスタックの設計はニッケイ・タローのうち、商品性の高い商用車であるライトバンとトラックに若干の改変を加えただけのものであった。流用は設計だけでなく、広告の文面にまで及んでおり、1958年(昭和33年)の第五回全日本自動車ショウで配布されたコンスタックのパンフレットは、前年のニッケイ・タローのパンフレットから文面多数が丸写しされていた。 もっとも1950年代末期は、開発力・生産力・販売力ともに強い軽自動車メーカーが多数勃興した時期で、既に旧態化しながら月間数台ペースの生産に留まっていたコンスタックが生き残る余地は乏しく、同車は1961年(昭和36年)までに100台足らずを生産して製造を終了した。
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