ナターシャ・カンディッチによる、戦争犯罪に関する糾弾
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「トミスラヴ・ニコリッチ」の記事における「ナターシャ・カンディッチによる、戦争犯罪に関する糾弾」の解説
2005年、ナターシャ・カンディッチ(Nataša Kandić)率いる人道主義法センター(the Humanitarian Law Center)は、戦争犯罪検察庁に対して、クロアチア・スラヴォニア地方東部のアンティン(Antin)で1991年8月に起こった虐殺について調査を求めた。生存者は、ヴォイスラヴ・シェシェリ率いる義勇軍の構成員が虐殺を行ったと話し、その中でニコリッチについて言及した。ニコリッチは自身のユーゴスラビア紛争への関与について話しており、そのことがこうした主張につながったと見られる。ニコリッチは、シェシェリによって「スラヴォニアにおいて、セルビア人のための模範的な戦い方を示した」として「チェトニック指導者」の称号を与えられている。 ニコリッチがアンティンで民間人の虐殺に関与したとの疑いは、国民議会議員のジャルコ・コラチ(Žarko Korać)によって取り上げられ、コラチは2005年7月にラジオ・フリー・ヨーロッパのインタビューでアンティンの虐殺に関して言及した。同じ月に、政府通信局の長官を務めたヴラディミル・ポポヴィッチ(Vladimir Popović)はB92の番組「Insajder」でのインタビューに応じ、ニコリッチの嫌疑について、元国家保安庁長官のヨヴィツァ・スタニシッチから聞いたと話している。人権活動家のナターシャ・カンディッチ(Nataša Kandić)は公開書簡で、ニコリッチがアンティンに住む老人らへの虐殺に関与した証拠を持っていると記した。 ニコリッチは、虐殺があったとされる時期にアンティンにいたことは否定しなかったものの、このとき同地で民間人の殺害はなかったとし、また自身は一発の弾丸も放っていないと述べた。カンディッチが「1991年にニコリッチによってアンティンの住民が死傷した」と発言したことに関して、2005年9月12日にニコリッチはカンディッチを告訴した。 セルビア急進党は、カンディッチの組織が反セルビア主義を広めているとして非難した。クロアチアの内務大臣は、アンティンでのニコリッチの犯罪行為に関する情報はないとの声明を発表した。 カンディッチは謝罪を拒否したため、ニコリッチはカンディッチを名誉毀損で訴追した。2009年2月、裁判所は、カンディッチは自身の発言の証拠を示せなかったとしてニコリッチの訴えを認め、ニコリッチがカンディッチに対して賠償を請求する権利を認めた。
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