テオドシウス朝断絶後とは? わかりやすく解説

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テオドシウス朝断絶後 (455年-480年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:43 UTC 版)

西ローマ帝国」の記事における「テオドシウス朝断絶後 (455年-480年)」の解説

ペトロニウス・マクシムス: 455年東方帝は承認せず) アウィトゥス: 455年-457年東方帝は承認せず)西方領土実力者であったリキメル擁立される。 マヨリアヌス: 457年-461年東方帝は承認せず) リウィウス・セウェルス: 461年-465年東方帝は承認せず) アンティミウス: 465年-472年 オリブリオス: 472年東方帝は承認せず) グリケリウス: 473年-474年東方帝は承認せず) ユリウス・ネポス: 474年-480年亡命475年-480年制度上の最後西ローマ帝国皇帝ロムルス・アウグストゥルス: 475年-476年事実上最後西ローマ帝国皇帝東方帝は承認せず)西方領土実力者であったフラウィウス・オレステスの子で、彼によって擁立される。 476年オレステスオドアケル率い蛮族傭兵叛乱軍によって殺害された。オドアケルローマ西帝位を東帝ゼノン返還ゼノン代理人という形式イタリア支配権引き受けた。ただし、東帝ゼノンはあくまで正統西帝ネポスであるとしていた。

※この「テオドシウス朝断絶後 (455年-480年)」の解説は、「西ローマ帝国」の解説の一部です。
「テオドシウス朝断絶後 (455年-480年)」を含む「西ローマ帝国」の記事については、「西ローマ帝国」の概要を参照ください。

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