テオドシウス朝断絶後 (455年-480年)
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ペトロニウス・マクシムス: 455年 (東方帝は承認せず) アウィトゥス: 455年-457年 (東方帝は承認せず)西方領土の実力者であったリキメルに擁立される。 マヨリアヌス: 457年-461年(東方帝は承認せず) リウィウス・セウェルス: 461年-465年 (東方帝は承認せず) アンティミウス: 465年-472年 オリブリオス: 472年 (東方帝は承認せず) グリケリウス: 473年-474年 (東方帝は承認せず) ユリウス・ネポス: 474年-480年 (亡命:475年-480年、制度上の最後の西ローマ帝国の皇帝) ロムルス・アウグストゥルス: 475年-476年(事実上の最後の西ローマ帝国の皇帝、東方帝は承認せず)西方領土の実力者であったフラウィウス・オレステスの子で、彼によって擁立される。 476年、オレステスはオドアケル率いる蛮族の傭兵の叛乱軍によって殺害された。オドアケルはローマ西帝位を東帝ゼノンに返還、ゼノンの代理人という形式でイタリアの支配権を引き受けた。ただし、東帝ゼノンはあくまで正統な西帝はネポスであるとしていた。
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