セゲスタの拡大:紀元前480年 – 紀元前450年
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セゲスタはギリシア都市間の問題には関与せず、紀元前480年以降ギリシア都市との交易関係を拡大することにより経済的資産を拡大していた。エリミ人の領域は、北方と西方をカルタゴ領と、南方をギリシア領に囲まれており、こうしたより強大な隣人との間に紛争を起こさないように微妙なバランスをとる必要があった。セゲスタは事実上のエリミ人の首都であり、ほとんどのエリミ人都市を代表して外交活動を行っていた。紀元前480年以降にセゲスタはギリシア都市とほとんど問題を起こしておらず、紀元前430年にかけてその勢力はピークに達した。これは明らかにカルタゴがシケリアに介入しなかったこと、セリヌスの活動が比較的不活発であったこと、およびギリシア勢力が分割されたことが原因である。エリゥクスを除くエリミ人都市は、この間にギリシア化が進み、また富の増加により紀元前430年頃にはドーリア式の神殿が建築されている。エリミ人はまた、近隣領域との問題を力で解決するようにもなっており、セゲスタは紀元前454年頃に、モティア、セリヌス、およびアクラガスを巻き込んだ戦争を起こしたが敗北した。この際にアテナイに救援を求めたが、援軍は派遣されなかったようである。 シケリアのギリシア人同士が戦っている間、イオニア人都市であるアテナイはデロス同盟を樹立してその勢力を拡大し、シケリアへの介入をも試みていた。これに対してドーリア人の都市はスパルタを中心にペロポネソス同盟を結んで対抗していた。紀元前454年の戦争は、セゲスタを含むエリミ人都市が軍事的に脆弱であることを露呈し、これがアテナイへの救援依頼が無視された原因と思われる。
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