スワード国務長官襲撃事件とは? わかりやすく解説

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スワード国務長官襲撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 16:37 UTC 版)

フレデリック・ウィリアム・スワード」の記事における「スワード国務長官襲撃事件」の解説

1865年4月14日ワシントンD.C.フォード劇場においてリンカーン大統領暗殺事件発生した犯人グループはこのとき政府高官同時殺害する計画立てており、国務長官であった父のウィリアム・スワード暗殺はルイス・パウエルが担当することになっていた。 パウエルはまず国務長官ウィリアム・スワード邸に侵入することを企図し、応対した使用人ウィリアム・ベルを「医薬品配達のために来た」と欺いて邸内入った。だがそのとき家にいたフレデリック・スワードは、配達依頼した覚えがないがないことを疑問思いパウエルを立ち去らせようとしたパウエル暗殺邪魔立てをするフレデリック排除するため、フレデリック頭部拳銃向けて引き金引いたが、幸運なことに銃は不発だったため、パウエルは、フレデリック頭部めがけて拳銃数度振り下ろし殴打したその結果フレデリック脳震盪起こし、床へ崩れ落ちたその後パウエル国務長官ウィリアム・スワード部屋押し入りウィリアムの顔や首を数回わたって刃物突き刺したパウエルはさらにウィリアム末娘ファニー・スワード、長男オーガスタス・スワード、看護ジョージ・ロビンソン軍曹使送員エメリック・ハンセルら、その場居合わせた人々次々と負傷させた。

※この「スワード国務長官襲撃事件」の解説は、「フレデリック・ウィリアム・スワード」の解説の一部です。
「スワード国務長官襲撃事件」を含む「フレデリック・ウィリアム・スワード」の記事については、「フレデリック・ウィリアム・スワード」の概要を参照ください。

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