スズキの参戦
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「ロードレース世界選手権の歴史」の記事における「スズキの参戦」の解説
スズキがロードレース世界選手権でワークス活動を開始した時(1960年)の社長は鈴木俊三である。鈴木俊三は1959年の第3回全日本オートバイ耐久ロードレース後に本田宗一郎からマン島TTレースへの出場を奨められ、翌年(1960年)のマン島TTレースに出場することを決意する。マン島TTレースへの出場は決めたものの、当時のスズキは舗装された自前のテストコースを持っていなかった。そこでホンダの好意によりホンダの荒川テストコース(舗装路)を借りてマシン開発を行った。この後スズキは舗装路のテストコースを建造する。スズキは太平洋戦争前から既に織機製造の株式会社としての歴史を持っていたが、それでも資金が潤沢とは言えなかった。そのような状況下でのロードレース世界選手権参戦と舗装路テストコースの建造であった。
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