シン・リジィ参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 21:18 UTC 版)
「ゲイリー・ムーア」の記事における「シン・リジィ参加」の解説
1974年1月、スキッド・ロウ時代の旧友であるフィル・ライノットに乞われて数ヶ月間、ギタリストのエリック・ベルの代役としてシン・リジィで活動を行う。また3月には、グループのデッカ・レーベルでの最終レコーディングとなるシングル「Little Darlin / Sitamoia」の制作にも参加する。 在籍中のライブでは既にグループの次作『ナイト・ライフ』の収録曲「Still in Love With You」「Showdown」「It's Only Money」などを演奏しており、4作目のデモ・レコーディングも残した。なお、シン・リジィが新たに契約したヴァーティゴ・レーベルからリリースされたアルバム『ナイト・ライフ』では「Still in Love With You」1曲のみ「ゲスト・ギタリスト」としてクレッジットされている。 同年5月、コロシアムのドラマー、ジョン・ハイズマンとともに新たなバンドを結成すべく人選を開始。ドン・エイリー、ニール・マーレイ、ジョン・モールらとともにジャズ・ロック・バンドコロシアムIIを結成し、1976年から1977年にかけて3枚のアルバムを残す。 1977年1月、再び、ブライアン・ロバートソンの代役として、シン・リジィに参加、クイーンとのアメリカ・ツアーに同行する。 1978年8月、シン・リジィに正式加入、コロシアムIIにも在籍したまま、ソロ名義でMCAと契約し、9月、初のソロ名義によるアルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』をリリース、全英アルバムチャートで70位を記録する。自作のインストゥルメンタル曲の他、ライノットとの共作曲を収録。なかでもピーター・グリーンから譲り受けたギブソン・レスポール・スタンダード (1959年)による演奏が印象的な「パリの散歩道 (Parisienne Walkways)」はUKシングル・チャート8位(最高位)を記録する。12月、シン・リジィによるアルバム『ブラック・ローズ』のレコーディング開始する。 1979年2月、アルバム『ブラック・ローズ』リリース。7月4日、アメリカ・ツアー中にマネージメントに嫌気がさしてグループを離脱、ロサンゼルスにて元ディープ・パープルのグレン・ヒューズと、シン・リジィのサポートを務めたことのあるマーク・ナウシーフとで活動を開始する。
※この「シン・リジィ参加」の解説は、「ゲイリー・ムーア」の解説の一部です。
「シン・リジィ参加」を含む「ゲイリー・ムーア」の記事については、「ゲイリー・ムーア」の概要を参照ください。
- シン・リジィ参加のページへのリンク