シトカの戦いとは? わかりやすく解説

シトカの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/10 13:30 UTC 版)

シトカの戦い(シトカのたたかい、英:Battle of Sitka)は、1804年にノヴォアルハンゲリスク(ロシア語: Новоархангельск、現シトカ)で起こったヨーロッパ人とアラスカ先住民族との間の最後の大きな戦闘である。この2年前のロシア交易拠点の破壊に対応して行われた。戦いに加わった先住民族はシトカ島(バラノフ島)のトリンギット族キクスアディ派であり、ロシアはロシア・アメリカン会社(露米会社)の代理人であった。ロシアの最初の攻撃時に遠征隊長のアレクサンドル・バラノフが重傷を負って反撃されたので、海軍の応援を頼み、トリンギット族のシスキノーウ砦に艦砲射撃を加え、数日間後に周辺の森の中にトリンギット族を追い出した。ロシアの勝利は決定的なものであり、トリンギット族は先祖伝来の土地から恒久的に追い出される結果となった。トリンギット族は北方に逃げて隣接するチチャゴフ島に新しい集落を造った。


  1. ^ a b Postnikov
  2. ^ Nordlander, p. 8
  3. ^ a b c d e Hope


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