シスネロスの家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/02/28 13:56 UTC 版)
1537年、プラテレスク様式(ルネサンス期にスペインで見られた、ムデハル様式とフランボワイヤン=ゴシック様式の混合)で建てられた邸宅。シスネロス枢機卿の甥ベニートが暮らしていたため、この名がついた。広場に面したファサード部分は、20世紀に家の所有者となったマドリード市によって、市庁舎との調和をはかるため改修された。言い伝えによると、フェリペ2世の秘書アントニオ・ペレスはこの邸宅に監禁されていた。首相を務めたラモン・マリア・ナルバエスは、退陣後にこの邸宅で暮らした。
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