ザクセン戦争 (カール大帝)とは? わかりやすく解説

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ザクセン戦争 (カール大帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 22:08 UTC 版)

ザクセン戦争(ザクセンせんそう、ドイツ語: Sachsenkriege英語: Saxon Wars)は、772年にはじまり804年に終結したカール大帝率いるフランク王国ザクセン人との間の30年以上にわたる戦争[1]


注釈

  1. ^ カールは同時に積極的なイタリア政策を展開した[3]。父ピピンのそれが東ローマ皇帝の至上権とランゴバルド王権の容認、教皇権に対する恭順という消極的性格をもつものだったのに対し、カールは明瞭にイタリアの支配者として行動し、遠征活動の結果、ランゴバルド王位をも獲得した[3]。彼はまた、教会政治に対しても父とは異なり独自の理想をもっていた[3]
  2. ^ 坂井榮八郎は、中世史家山田欣吾の指摘を引きながら、フランク王国と称される「国家」が当時の人びとにとっては「教会」として理解されていたことを示し、その意味で、ザクセン戦争は、異教徒に対する「聖戦」の意味合いをもっていたことを指摘している[4]
  3. ^ アルクィンはカール1世を「全キリスト教徒の支配者にして父、国王にして祭司」と呼んでいる[4]。このような点からすれば、カールによるザクセン人に対する苛烈な処置も、敵の殲滅が至上命令となる宗教戦争としての性格を示しているととらえることも可能である[4]
  4. ^ カールは王国の知的興隆にも意を注ぎ、アルクィンやアインハルトといったキリスト教徒の知識人も重用してカロリング・ルネサンスの基礎を築いた[2]

出典



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