コパ・アメリカ1999
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コパ・アメリカ1999(スペイン語: Copa América 1999)は、1999年にパラグアイで開催された南米サッカー連盟(CONMEBOL)主催で行われた第39回目の大陸選手権である。開催期間は6月29日から7月18日。
- ^ 1999年7月15日付け「日本経済新聞 400万ドル払ったと仏紙報道・日本がコパ参加のため?」 2007年7月24日閲覧
- 1 コパ・アメリカ1999とは
- 2 コパ・アメリカ1999の概要
- 3 準々決勝
- 4 準決勝
- 5 得点者
- 6 外部リンク
コパ・アメリカ1999
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「フアン・ロマン・リケルメ」の記事における「コパ・アメリカ1999」の解説
1999年7月にはパラグアイで開催されたコパ・アメリカ1999のメンバーに選出され、背番号22番を背負った。なお、この時のメンバーにはボカからリケルメ、ウーゴ・イバーラ、ワルテル・サムエル、ギジェルモ・バロスケロット、マルティン・パレルモ、ディエゴ・カーニャの6人が選出された。グループリーグ初戦のエクアドル戦では試合終了間際までプレーし、3-1で勝利。2戦目のコロンビア戦にはフル出場したが、後半に3失点して0-3で敗れた。最終戦のウルグアイ戦にもフル出場して2-0で勝利し、アルゼンチンは勝ち点6のグループ2位で決勝トーナメント進出を決めた。準々決勝のブラジル戦にもフル出場し、アルゼンチンは32分まで1-0でリードしていたが、最終的には1-2で敗れた。 2003年4月30日、トリポリで行なわれたリビアとの親善試合 (3-1) で代表初得点を挙げた。2004年11月17日、2006 FIFAワールドカップ・南米予選のベネズエラ戦 (3-2) で代表2点目を決めた。2005年6月8日にブエノスアイレスで行なわれた同予選・ブラジル戦でも1得点して3-1の勝利に貢献した。同年10月9日に行なわれた南米予選のペルー戦 (2-0) では、81分にPKで代表7点目を決めた。11月16日にドーハで行なわれたカタールとの親善試合 (1-0) で代表8点目を決めた。
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