ギラード政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:52 UTC 版)
豪労働党内での対話支援 2010年6月ジュリア・ギラード首相への交代はオーストラリアの外交関係の変化をもたらし、アメリカ合衆国との関係強化と中国との距離を置く政策に転換した。オーストラリアン紙は四カ国対話についてオーストラリアの防衛問題にからめて広範に記事を書き、ラッド政権との交代後「オーストラリアの国益は長年の盟友であるアメリカ合衆国を支えることによって地域における優越性を維持できる」とされた。アメリカ合衆国によるギラード政権の和解と四カ国対話への復帰にもかかわらず、対話についてトニー・アボットと豪自由党は四カ国関係を残したラッドの最初の決定を批判の対象とした。 北豪州への米海兵隊の駐留 インドへのウラン売却を実施しないオーストラリアの決定は四カ国同盟の弱体化を招き、豪自由党は批判の動きを示した。しかし、野党はチモール海とロンボク海峡を臨むダーウィン近郊へのアメリカ合衆国の軍事プレゼンスに対するギラードの政策を支持した。インドは依然として核不拡散条約の調印を拒否しており、アメリカ合衆国の支持の元でギラード豪労働党政権はその後方針を翻してインドにウランを売却するとした。
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