カールトンのケベックへの帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 22:48 UTC 版)
「ケベックの戦い (1775年)」の記事における「カールトンのケベックへの帰還」の解説
セントジョンズ砦が陥落した後、カールトンはモントリオールを放棄して、何とか捕虜になることを免れ、船でケベック市に戻った。11月19日に帰還したその日に防衛軍の指揮を執った。その3日後、町の中の体を動かすことのできる者で武器を取ろうとしない者は反逆者あるいはスパイと見なし、それなりに扱われるであろうという声明を発した。武器を取ろうとしない男達は町を去るために4日間の猶予を与えられた。その結果、約500人の住人(イギリス人200人、カナダ人300人)が守備隊に加わった。 カールトンは町の防御について弱点がないか検査し、セントローレンス川岸に沿って自軍の大砲が届く範囲に2つの木製バリケードと柵を造らせた。市の防壁と内部防御物に沿って部隊を防衛的に配置し、経験の足りない民兵は強力な指揮官の下に付くよう配慮した。
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