エドワード・ティーチとは? わかりやすく解説

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黒髭

(エドワード・ティーチ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 09:46 UTC 版)

黒髭(くろひげ、:Blackbeard)として知られるエドワード・ティーチ、あるいはエドワード・サッチ(英:Edward Teach または Edward Thatch、1680年? - 1718年11月22日)は、西インド諸島カリブ海)と北アメリカの東海岸周辺で活動していたイギリス出身の海賊。その経歴の初期はよくわかっていないが、アン女王戦争スペイン継承戦争)中に私掠船の船乗りとして生活し、1716年頃に海賊ベンジャミン・ホーニゴールドの手下となって彼の拠点であるニュープロビデンス島に移住した。ホーニゴールド配下の時代では、後に拿捕したスループ船の船長に任命されて海賊船団の一角を構成するなど、共に多数の略奪行為を重ねる。船団は後にスティード・ボネットが船長を務める船を含む2隻が加わり拡大したが、1717年の終わり頃にホーニゴールドは2隻の船と共に海賊を辞め、それに前後してティーチは海賊団の実権を握り、残った船団を統率するようになる。


注釈

  1. ^ 奴隷を輸送する目的で特別に改造された大型貨物船の通称。
  2. ^ このルテナント(Lieutenant)は、副官や(海軍の)大尉を意味し、通称であって名前ではない。
  3. ^ コンスタムは海賊たちはほぼ確実に「ホラを吹いて捕虜をからかう」として事実である可能性は低いと指摘している[25]
  4. ^ これらの話の中で、ボストックは、ティーチがしきりにPinkentham船長を見つけたがっており、繰り返し彼のことを尋ねてきたという。実はPinkenthamは、Grinnawayという名の海賊に捕まっていたが、ボストックは教えなかった[26]
  5. ^ ゆっくり均一に燃えるように作られた導火線。リーはこの導火線について「鉛筆ほどの太さで、麻紐を塩水と石灰水に浸して作った導火線」と説明している[31]
  6. ^ シカゴ大学の経済学者であるピーター・リーソンは、彼はそんなことをする必要はまったくなかったと指摘している[35]
  7. ^ おそらくアン女王の復讐号に備え付けられたロングボート[49]
  8. ^ 鹵獲されたリベンジ号は後にサウスカロライナ植民地総督の命令により艦隊に組み込まれた。艦隊はチャールズタウンの港の入り口近くにおいて海賊団と激しい戦闘になり、1ヶ月の間に49人の海賊が処刑された。それら遺体はホワイトポイント近くの絞首台に放置されていた[50]
  9. ^ 植民地総督は1702年にウィリアム3世の布告によってイギリス国外での海賊鎮圧の権限を与えられていたが、その期限は切れており、スポッツウッドは1718年12月までジョージ1世の新たな布告を受けていなかった[61]
  10. ^ 二人の艦長はホロウェイが民事訴訟に関与していたので拒否した。
  11. ^ パール号とライム号は船足が深く、オクラコーク周辺の浅瀬を航行できなかった[68]
  12. ^ このやり取りは他に裏付けする史料がなく、ジョンソンが内容を面白くするために捏造した疑いが強い[80]
  13. ^ コンスタムは、獄中のハンズがスポッツウッドへの情報提供者だったと示唆している[91]
  14. ^ ジョンソンの説明で疑わしい多くの「事実」の中に、ティーチと英国艦スカーボロー号の遭遇がある[105]。スカーボロー号の記録にも、その艦長の手紙にも、そのような出来事があったことに言及していない。歴史家のColin Woodardは、ジョンソンが、ジョン・マーテル一味とスカーボロー号が戦闘したことと、黒髭が別の軍艦シーフォードと遭遇したことを混同したのではないかと指摘している[106]

出典

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エドワード・ティーチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 14:09 UTC 版)

フライング・ギャング」の記事における「エドワード・ティーチ」の解説

詳細は「黒髭」を参照 黒髭という異名知られるティーチ黄金期海賊で最も有名な人物であり、スペイン継承戦争私掠船乗組員として活動した後、ベンジャミン・ホーニゴールド部下として海賊行為行ったティーチフライング・ギャング中核メンバーとして恐れられ、ホーニゴールドの元で多数掠奪行為従事した1717年11月ティーチはホーニゴールドの元から独立して海賊行為行いフランス船ラ・コンコルド号を攻撃してこれを捕らえた。船はアン女王の復讐号改名されて最も有名な海賊船となり、悪名轟かせた。この頃ティーチは6丁もの銃で武装し帽子の下に点火した導火線付けて顔の周りに煙が漂っているという恐ろし気な風貌をしていた。しかしその悪名反面ティーチ捕虜への虐待および殺害及んだ記録残っていない。チャールズタウン封鎖などの活動の後、ティーチノースカロライナ根城とし、当地で妻を娶り、イーデン総督後ろ盾のもと海賊行為密貿易行った。オクラコーク島を拠点としたティーチナッソー追われチャールズ・ヴェインジャック・ラカムロバート・ディールなどと過ごしたが、バージニア植民地のスポッツウッド総督派遣したロバート・メイナードとの対決最期の刻を迎えたティーチ遺体には20か所の刺し傷と5か所の銃創残っていたとされるティーチの頭は切断されメイナードの船の船首吊り下げられた。後年ノースカロライナではティーチ亡霊に関する迷信いくつか生まれ、「ティーチ灯り」という海上謎の光浮かび上がる現象が特に知られる

※この「エドワード・ティーチ」の解説は、「フライング・ギャング」の解説の一部です。
「エドワード・ティーチ」を含む「フライング・ギャング」の記事については、「フライング・ギャング」の概要を参照ください。

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