エジプトへの侵攻と征服
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「ファーティマ朝のエジプト征服」の記事における「エジプトへの侵攻と征服」の解説
アレクサンドリア カイロ フスタート ギーザ ファイユーム・オアシス ファラマ ティンニース ナイルデルタ地帯の地図 ジャウハルは968年12月26日にラッカーダ(英語版)で自身の天幕を設置し、ジャウハルの指揮の下で遠征軍の招集が始まった。カリフのムイッズは、ほぼ毎日近接するマンスーリヤ(英語版)の宮殿から規模が拡大していく野営地の様子を視察に来た。アラブの史料では、招集された軍隊は100,000人を超える規模であったと記録されており、強力な海軍の戦隊を伴い、戦争資金として1,000個を超える金貨で満たされた箱が準備された。969年2月6日にカリフが自ら進行役を務める正式な式典が開催された。そこでカリフはジャウハルに全権を授与し、式典の後に続いて軍隊が出発した。ジャウハルに全権が与えられたことの証として、カリフとジャウハルだけが式典中の騎乗を許された。カリフの息子や兄弟を含む他のすべての要人は、馬から降りてジャウハルに敬意を表すように命じられた。ムイッズは新しい総督に授けられた権威をさらに強調するために、しばらくの間騎乗して軍隊に同行し、その日に自身が着用した豪華な衣装をジャウハルに与えた。軍隊はバルカに向けて進軍し、そこでヤクーブ・ブン・キッリスが軍隊に加わった。 ファーティマ朝の軍隊は969年5月にナイルデルタに入った。ジャウハルは抵抗を受けることなくアレクサンドリアを占領し、アレクサンドリアに近いデルタ地帯の西端に位置するタッルージャに要塞化した野営地を築いた。その一方で前衛部隊はファイユーム・オアシスに向かって進軍した。ジャウハルの軍隊はエジプトに入ったときには全く抵抗に遭うことがなく、すぐに海からファイユームに至るまでのナイル川西岸の支配を手に入れた。その後ジャウハルは動きを止め、フスタートの反応を待ち構えた。
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