イングランドのネーデルラント介入
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「英西戦争 (1585年-1604年)」の記事における「イングランドのネーデルラント介入」の解説
イングランドは、スペインからの独立を宣言したプロテスタントのネーデルラント連邦共和国の側に立って八十年戦争に参戦した。イングランドのネーデルラント派遣軍は、エリザベスの寵臣レスター伯に率いられた。 当初からエリザベスは、この戦争を本気で支持はしていなかった。彼女の戦略は、表面的にはオランダ人をイングランド軍で支援しつつ、レスター伯がネーデルラントに到着したその日から秘密裏にスペインと交渉することであった。これはネーデルラントで戦うことを期待され、また自らも望んでいたレスター伯の意向と対立するものであった。一方でエリザベスは彼に「敵との決定的な対戦をいかにしても避けよ」と求めている。彼はスターテン・ヘネラール(オランダ議会)から総督の地位を受け、エリザベスを激怒させていた。エリザベスはこれを、それまで彼女が拒否していたネーデルラントにおけるオランダ人の主権を認めさせようとする策略であると見ていた。 総督就任を認めず、「私によって引き立てられ、誰よりも寵愛した男が、命令に背いて私の名誉を汚した」とレスター伯を激しく非難したエリザベスの「命令」(commandment)は、レスター伯が臨席するスターテン・ヘネラールで彼女の使者によって読み上げられた。この公の場での女王の総代官に与えられた恥辱と、彼女がスペインと秘密交渉を続けていたことにより、オランダにおける彼の立場を取り返しがつかないほどに弱めてしまった。 軍事行動は、エリザベスが飢えた兵士へ約束していた資金送付を繰り返し拒否したことにより、ひどく妨げられた。イングランド軍と反乱軍は劣勢に陥り、ネーデルランド諸都市が次々とスペイン軍の手に落ちた。戦争への彼女のやる気のなさとレスター伯自身の軍事的・政治的指導力の不足、そしてオランダ政治の党派分裂と混乱した状況が、戦役の失敗の原因であった。結局、レスター伯は1587年11月に召喚され、ジョン・ノリス (en) と交代した。
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