イスラム支配下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/24 19:29 UTC 版)
8世紀初頭にムーア人が到来し、抵抗活動は小さな城壁の町を治める司教をまじえて粉砕された。そして聖職者の暮らした要塞化された別荘にはイスラム教徒の君侯が入った。協調した抵抗運動は効果がないように見えた。パレンシアは取るに足らない都市となった。ムーア人の作家は、ウマイヤ朝に宛てて、『かつての県の区分において、パレンシアは一度国境都市の場所があっただけだ』と書いた。パレンシア司教座は名目上のものとなった。司教座の一帯を921年に継承したのはビリャフルエラ伯であった。しかし真のキリスト教の復活者はナバラ王サンチョ3世であった。パレンシアでエル・シッドは1074年に妻ヒメーナと結婚した。
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