アーネスト・サトウ襲撃事件
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「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事における「アーネスト・サトウ襲撃事件」の解説
慶応3年3月25日(1867年4月29日)英国公使一行は大坂で新将軍徳川慶喜との会見に臨んだが、通訳のアーネスト・サトウと画家のチャールズ・ワーグマンは、その後陸路大坂から江戸に向かった。4月24日、サトウらは近くに例幣使一行が来ているとの噂を聞いた。予定では例幣使は掛川宿を通過し、次の宿に泊まることになっていたので、彼らと遭遇しないよう、英国人一行は先を急ぎ、例幣使と出会う前に掛川宿に到着した。しかし、その夜半、12人ほどの凶漢に宿が襲撃された。護衛の侍が撃退し、サトウらは難を逃れた。彼らを襲ったのが例幣使一行だとわかったのは、中の一人が落としていった提灯によってであった。数ヶ月後、凶漢とこの事件に関係した他の3人の者が江戸に檻送され、審問を受けた結果、2人が死刑(うち1人は獄死)、4人が遠島に処せられた。
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